- 栽 培 -
皇室献上米の栽培は最新の注意が払われ、古式の神事に即して進められる。農作業に携わるのは健康で品行方正な人とされ、田に入る際はおはらいを受けた。農具もすべて新調された。
同年6月5〜7日に行われた田植えには約17万人が訪れた。耕作で使う牛が排せつしそうになれば、帯同する人が桶を差し出して受けた。肥料には下肥や堆肥は用いず、米ぬかや油粕を用意。臨時の気象観測所も置かれ、24時間態勢で斎田を見守ったという。
斎田のそばには、虫や鳥をおびき寄せる田が造成された。大切な稲に付いた虫は、手作業で一匹ずつ取り除いた。
- 収 穫 -
収穫が行われたのは9月下旬。脱穀された後、麻と絹布で磨き上げられ、延べ2000人以上によって奇麗な粒が選び出された。「昭代」と命名された献納米は、約14キロ離れた西新町駅まで徒歩で運ばれ、新造された特別列車で京都へ向かったという。大嘗祭は11月14、15日に行われた。
- 1/3はお神酒の醸造用に -
9月21日の抜穂の儀は天皇の特使である勅使を迎えて厳粛に執り行われた。
秋季皇霊祭(現 秋分の日)に刈り取られた稲は、精米・精白され、最初は木綿の袋、次に絹の袋に入れて2人の奉仕者は袋の両端を持ち、上下にゆすって糠を落とすのである。その後、黒い盆に移されて純白の帽子とマスクとエプロンを身に着けた女性たちによって1粒ずつ選り分けられた。
粒選りの米約450キロは12個の白木の唐櫃に収められ、斎藤守圀福岡県知事が徒歩で付き添って、斎田から早良街道を経て筑肥線西新駅に選ばれた。
- 新造の特別列車で京都へ -
沿道は人垣ができるほどの見物人が集まっていたという。奉納米は新造された特別列車で太田主の石津さん他、奉耕者などと共に京都に旅立った。
この12個の唐櫃の米の使途はといえば、1個分が神様や天皇が口にするご飯となり4個はお神酒に醸され、6個が宴会の食事用、残り1個が予備として用いられた。